神戸在住のアーティスト、グレアム・ミックニーさんという方の記事にこんな言葉がありました。

「平和を保つためには地元から少し離れたサロンに通うのが良い、というのが僕の持論です」

これね、グレアムさんが住んでいる塩屋という町には小さい町にもかかわらず床屋さんが沢山あるそうで、僕の地元とも重なる部分があるんです。

僕自身、そこまで髪型には頓着していないので、「楽ならいい」ぐらいの条件しか持ち合わせていません。なので、美容師さんの腕をそんなに気にすることもありません。床屋さんは何軒か行ったことがありますが、「ぶっちゃけ、よくわからん」というのが正直な感想です。思春期が大体ボウズだった影響で、髪型に対する思考回路が全く成長していないんでしょうね。

さて、話を戻しますが、グレアムさんのこの言葉、なんとも心に響いてくるものがあります。地元であれこれやっていた時期があったので、この気持ちが痛いほどわかるんです。同業のお店が複数あって、しかもどのお店の人とも顔見知りだったり仲が良かったりすると、「贔屓の店」みたいなものを逆に作れなくなってしまうんです。地元にはカフェも多いんですが、どこの人も顔見知りなので、「こっち行ったから、今度はこっちにも行かなきゃ、なんだか申し訳ない」という被害者妄想みたいなものが膨らんでしまって、結果的に面倒くさくなってどこにも行かない、みたいな思考回路ができてしまっている部分があります。まぁ実際は、お店の人からすれば、たくさんいるお客さんの一人に過ぎないわけですし、そんなこと気にしてないんでしょうけどね。そんなに何度も外食をできるほどお金も持っていない現実的理由も相まって、結果的に今は地元から少し距離を置くような感じになっています。

昨日の「ナポレオンの村」というドラマで、主役の唐沢寿明さんが移住してきた家族に冷たく当たってしまう村の人たちに向けて、「自分たちが大したことがないと思われるのが怖いから、閉鎖的になってしまうんだ」という趣旨のことを話すシーンがありました。僕の地元も閉鎖的だと言われることがありますが、実はそれも、自分たちが長年この街を育て、守ってきたんだという自負心と多少の驕りだけでなく、時代の流れについていくことを諦め、そういう流れに乗れていない自分たちの不甲斐なさみたいなものを隠すための閉鎖的な雰囲気なのかもしれません。現実にはそんなことをズバッと言ってくれる公務員などいませんが、木下斉(きのしたひとし)さんの『稼ぐまちが地方を変える』という本は、かなり厳しい言葉をズバズバと書いているので、「町おこしだけじゃダメなんだ」と薄々感じていながらも、どうすればいいかわからず困っている人や、地元に貢献したいと思って市役所に入った人なんかにもぜひ読んで頂きたいですね。

その平和は守るべき平穏なのか。それとも、一度は通らねばならない荒海を避けて延々と航海を続けているだけなのか。結局は当事者の意識の問題なんでしょうけど、なんだかちょっと心苦しくなった記事でした。