今日から8月です。

ついに就活生は選考が開始、酷暑が続く中、エージェントのごとく漆黒のリクルートスーツに身を包んだ学生たちが右往左往する時期がやってきました……と思っていたら、どうやらそうでもないようです。

8月1日の毎日新聞朝刊に『採用選考「きょう解禁」のはずが… 学生半数「すでに内定」』という見出しがあるじゃないですか。

ふぁっ!? 今日開始で今日内定って???

そう思う方もいるでしょうが、もちろん「やっぱりね」と思う方もいることでしょう。この「8月選考開始」という国からのお達しですが、実はあくまで「指針」であって、無視しても罰則などはありません。ですから、別に企業の側としてはインターンで目をつけた学生を面接して、8月より前に内定を出してしまっても特に問題はないということです。まぁ、今年は降ってわいたように「オワハラ」なんて言葉も出てきたりして、企業側の必死さは例年より増しているのかもしれません。

ルールが徹底化されると、それまで存在していたグレーゾーンが排除され、シロかクロか明確に分けられることになります。もちろんそれで良いこともあるんだとは思うんですが、一方で、クロの側はその黒さをより一層濃くするという怖さもあります。

前にも書いたように、内定者の囲い込みは昔からあったことですし、今現在働いている多くの会社員の人の中にも、そういった囲い込みみたいなことをされた経験のある人は少なくないでしょう。自分たちもそうやって囲い込みを受けたのだから、自分たちが採用の側に回った時に同じことをするのは自然な流れだ、といったところでしょうか。マンガ『あひるの空』で里実西の日高が、代交代しても繰り返される悪習を見て言った「こうやって歴史は繰り返すのか」という言葉がふと頭をよぎりました。某メーカーの不正が明るみに出て、改めて「企業体質」という言葉が注目されていますが、採用、選考に関して言えば、一企業というよりも社会全体がそういった流れを繰り返しているんですよね。

自分も仕事をしていて感じることですが、「人を育てる」ことの難しさは並大抵のことじゃありません。その中で、せっかく育てた人が辞めていく度に、また新しい人を探して、また一から教えていく。職場っていうのは基本的にその繰り返しです。日本の企業が新卒至上主義を貫いているのは、結局「まとめて教えられるから」っていう部分が大きいんですよね。不定期に人を採用していては、本来の業務に対して教育が不規則に絡むことで効率が悪くなってしまう。だから、決まった時期に一括で採用して、同じようなペースで仕事を教えていく。非常に効率的な方法だと思います。

ただ、人間、生き物ですから、そういう流れに乗れない人だって中には当然出てきます。そういう人を排除していくことは、一見すると間違っているようにも見えますが、見方を変えれば、その人に合った別の「流れ」があるはずだ、とも考えられます。しかし、社会というのは極めて理不尽で、一度レールを外れると、その時点で落第者の烙印を押し付けてきます。その辺りの現実は『無業者会』に詳しいですが、人間がシステムを組み込んでいるのではなく、気付いたらそのシステムが人間の適性を見極めて組み込んでいるような、極めて不気味な状況になっているように、僕には思えます。

この、あまりにも社会と一体化しすぎてしまった就活のシステムをボゴッと取り外すのは難しいでしょう。前例をいきなり全部捨て去ることなんて、この話に限ったことではなく非常に難しい。しかし、じゃあこの無理が目に見えてきているシステムを壊れるまで使い続けていていいのかとも思えます。「壊れてからでは遅い」んです。幸い、今はそういう流れに嫌気がさして、そのシステムの外に出ていく選択をして人生を歩んでいる人もいますし、そういう人が増えていくことで、キャリアの多様性がどんどん増えています。前例主義を捨てられないなら、前例を作ればいい。簡単に書いてますが、道なき道を進むという人生選択にはものすごい決断力が必要ですし、そういう決断をして生きている人を僕は尊敬します。

壊れてからでは遅い。でも、気づいた時に動ければ、まだ間に合う。

僕はそう信じています。